情報リテラシー論7

第七回目の内容は「多様な連絡手段のインフラ化」

 

私が初めて携帯端末を持ったのが高校1年生、すでにスマートフォンが登場しており、LINEも発達していたので「迷惑メール」に腹を立てた経験はあまり無いように思う。

 

だがそれ以前に持っていた友達(ガラケー時代にすでに使っていた子たち)は迷惑メールが来ることを嘆いていた記憶がある。

当時の携帯を持っていない私にとってはそれすら羨ましかったが、時代とともにその悩みは聞かなくなってしまった。

 

逆に増えたように思うのがLINEの乗っ取り、迷惑LINEである。

私は無いが、よくSNSなどで「乗っ取られたのでLINEやり直します!追加してください!」という投稿とともにLINEのQRコードを載せている人を見かける。それはまた乗っ取られる原因になるぞ、と思いつつ放っておくことが一度や二度などでは無い。

 

LINEも大事な個人情報であることの認識が薄いのであろうか。

だが、今はLINEだけでなくいろいろなSNSで個人とのメッセージのやりとりができるようになっている。

 

身近なカップルたちの出会いのきっかけを聞いても、

 

Twitterで気になりフォローする→そこからリプライなどで会話(何度も続くうちに気になる存在に)→TwitterDMで個人のやりとり&LINE交換→LINEで毎日やりとり(電話なども)→会う→付き合う

のような方程式が出来上がっている。

 

親密度が上がるにつれどんどんツールが変化していくのはとても興味深い。

 

それぞれのツールにはそれに適した使い方があるが、やはり重複しているところも多いように思う

 

第八回に続く

情報リテラシー論6

第六回目の内容は「キュレーションの必要性」

 

よく何かを調べていると検索結果の一番上に出てくるのが「NAVERまとめ」などのまとめサイトだ。

 

ついつい他の記事も読んでしまうほど、短くわかりやすくまとめられている。

 

だが一方で真偽が定かではない情報がたくさんあるように感じる。

それが問題となりDeNAが運営する医療系まとめサイトのWELQを含めた10のサイトが閉鎖されたことは記憶に新しい。

 

www.yomiuri.co.jp

この記事内でも多くの問題点が指摘されているが、一番大きな問題は事実とは異なる記事が多くあったことだろう。

これによってまとめサイトの信頼は失われ、他の記事にも影響を及ぼしている。

 

キュレーションは、多くの情報が蔓延するネットでは重要な存在だが、その分情報が偏ってし問題点も秘めている。

私たちはそれを取捨選択していくことが大切である。

 

第七回に続く

 

情報リテラシー論5

第五回目の内容は「スマートフォン普及と課題」

 

最近、私の祖母もついにスマートフォンを手に入れた。

連絡の手段もLINEに変わり、以前よりもスムーズに写真を送ったり、メッセージのやりとりができるようになった。

そんな中、祖母が一番不便に思っているのはやはりタッチパネルの問題でる。

私たちのような若者でも押しにくい時があったり、間違えて押してしまったりするのだから80歳近い祖母にはもちろん押しにくいだろう。

だが、それでも祖母は、スマホにしてよかった、と喜んでいる。

なぜなら、はるかにガラケーよりもできることが多いからである。

LINEなどのアプリを使えば、いつどこでも送りたい時に写真を撮って送れてしまうし、電話代だって実質無料である。

わからないことがあれば、一瞬で調べられるのも魅力的だ。

だが、その他に私が思うは他の人に置いていかれたくない、という思いではないかと感じた。

 

祖母に限らず、スマホを持っている多くの人は「他の人が使っているのを見て」とか「流行に乗り遅れたくない」とかからの気持ちでスマホを使い始めたのではないかと思う。

 

その結果スマホなしではいられなくなってしまっているのなら恐ろしいことだ。

スマホは、とても便利なものだが、その分危険性も大いにある。

それをどうやって使っていくかが今後の課題だ。

 

第六回に続く

情報リテラシー論4

第四回目の内容は「ソーシャルメディアの台頭」

 

ネットの世界の中で一番身近になっているSNS

インターネットはよく分からないがSNSは使っている、という人もよく見かける。

私もTwitterやLINE、InstagramなどのSNSを利用しているが、その影響は計り知れない。

 

東日本大震災でもSNSの力で救援物資が送られ、その力は多くの人に知れ渡るったであろう。

授業でエジプト独裁政権を崩壊させたのもSNSでの繋がりがあったからという話を聞き、改めてSNSの持つ力とその脅威を思い知った。

 

オバマ大統領もTwitterの力で当選したが、現大統領のトランプ氏もTwitterを使い自らの主張を民衆に広げている。

Twitterという誰とでも繋がれる、近くに感じることのできるツールだからこそ、政治の世界でもその力を大いに発揮するのではないかと思う。

 

授業ではSNSスイミーと例えていたが、私もその通りだと思う。

多くの人が利用して初めてSNSは成り立ち、力を持つのだと思う。

 

第五回に続く

情報リテラシー論3

第三回の内容は検索エンジンの変遷という内容。

webサイトが増えていくにつれてカテゴリー検索が難しくなり、その結果yahooが、googleのように検索窓だけになっていたというのには驚いた。

私は、昔からどうもyahooのごちゃごちゃしたようなサイトが苦手で、googleばかり使っていたので今回の話を聞いてとても納得した。

 

googleのキーワード検索からのページランク、私はこのわかりやすさのおかげでgoogleが好きだったのかもしれない。

調べたいキーワードを入力するとgoogleにより審査され、順位付けられた情報が上から順番に出てくるなんて素敵だ。

 

第四回に続く

情報リテラシー論2

第二回目を迎えた情報リテラシー

冒頭で Did you know 4,0 という動画を見た。

www.youtube.com

これによるとインターネットの発達で情報量が爆発的に増えて、アナログ的な情報の媒体(新聞やラジオ)などはどんどん衰退して行っているらしい。

我が家もスマートフォンが登場してからは新聞はおろか、テレビすら見ることが減った。

これから先どういう風に影響が出てくるのか不安である。

 

そして「江戸の人間が一生かかって得た情報を現代の人は一日で得てしまう」

という言葉が私の中ですごく印象に残った。

私たち現代人は、情報が蔓延しすぎているせいかその情報を得るための過程の大切さを忘れてしまっているような気がしている。

昔は数日かかってやりとりしていた遠く離れた人へのメッセージも、今では数秒もかからずやりとりできてしまう。それはとても便利なことだと思うが、同時に少し恐くも思ってしまう。

 

第三回に続く

 

 

 

 

 

情報リテラシー論1

第一回目の情報リテラシー論のガイダンス。

当初私は、情報リテラシーという名前だけで少し小難しいネットの起源や歴史を学ぶのかなあと思いつつガイダンスに参加してみた。

だが、思っていたようなものではなく、Twitterでアンケートをとったり、Twitterでつぶやかれた生徒の意見をスクリーンで反映しながら進めていくというなんとも楽しそうな(現代的な)授業だった。

 

授業の内容も、現代のSNSなどを中心にした、私たちにとっては身近な内容となっている。

少し前までの自分の情報リテラシー、ネットなどについての考えがいかに古臭いものだったかを思って少し恥ずかしい気持ちになった。

 

第二回目に続く