情報リテラシー論14・15

今回の内容は「セキュリティとクラウド化」

と「デマや詐欺と進化する技術」

 

私はよく面倒くさがりなので、パスワードを一定にしてしまうことが多い。

だが、この授業でその危険性と対策法などを学んでからは、パスワードをできるだけ変えて、難解なものにした。

 

自宅の本棚に入れておく、というのはとても画期的だと感じた。

 

私の周りでもよく乗っ取られている人を見かけるが、そういう人は自ら認証をしてしまっているのだと思う。

実際にパスワードを解析されて乗っ取られることは少ないと思いたいが、それについても対策をしていかないといけない。

 

なりすましは、経験がないがこれまたされている人を目撃したことはある。

未だにどんな目的があってなりすますのかわからないが、恐ろしいのは確かだ。

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SNSなどを利用していると、必ずと言っていいほどデマに遭遇する。

そして、周りの人たちは結構騙されていたりするのでかなりタチが悪い。

誰も傷つかないデマの類ならいいが、特定の人物や場所を誹謗中傷する目的のデマはあってはいけないと思う。

今はTwitterリツイートなどのツールで瞬く間に拡散してしまう。

その時に軽い気持ちで流したデマでも多くの人に伝わり、多くの人を傷つけている。

 

書き手はもちろんだが読み手もよく考えて、デマを拡散させないことが重要だと思う。

 

情報リテラシー論13

第十三回目の内容は「画像認識の技術と流出問題」

 

画像というのは文字より大きな判断基準になると思う。私もよく美容院を探すときなどはInstagramなどで画像を探して参考にするし、他のものもそうだ。

 

SNSなどでも画像があるとその人の投稿は目を惹きやすくなる。

だが、そのSNSの画像の中でも、問題があるものをよく見る気がする。

 

一番多いのが他の人が描いたイラストや写真を無断でアイコンにしたり、加工してSNSに乗せる無断転載である。

 

他には車のナンバーなど個人情報が載っている投稿であったり、個人が特定できる情報。

画像は一枚で多くの情報を与えてくれるがその分、多くの情報が流出しやすく注意が必要だ。

 

芸能人でもよく、一枚の画像から様々な情報が特定されてスキャンダルに発展して行っているのを見ると恐ろしくなると共に私たちも気をつけなければ、という気持ちにさせる。

 

今は一枚の画像から家まで特定されてしまう時代だ。

自分の身を守るためにもその点は徹底していかないといけない。

 

第十四、十五に続く

 

 

 

 

 

 

情報リテラシー論12

第十二回目の内容は「ラジオ離れと音声認識技術」

 

ラジオは小さい頃からあまり聞いてこなかった私は、大学に入ってからラジオを聴いている。

という友達に数人出会って驚いた。

 

他にも、音声検索は私は使用したことが無かったが、意外に使っている人が多いことにも驚いた。

私が音声検索を使わない理由に、なんとなく恥ずかしいから。というのがある。

 

一人でスマホに向かって話しかけるという行為がまだ浸透していないのである。

 

だが、時代はそれに反して音声寄りになっているらしい。

これから多くの人が音声検索を使い出したら、恥じらいも消えて、もはや当たり前になってしまうかもしれない。

 

第十三回に続く

 

情報リテラシー論11

第十一回目の内容は「苦戦する紙媒体と電子書籍

 

私は割と本が好きな方だと思う。

読んだりするのも好きだが、一番好きなのは見た目である。

持っているだけでも愛しさを感じてしまう重量感。あれが電子書籍になってしまったら魅力は半減、いや8割減してしまうと思う。

実際に私の周りも、本の装丁や格好が好きという人が少なくない。

実際に読みたい本が決まっているなら電子書籍はとても便利だと思うが、本屋さんで本に巡り会う。というあの感覚は、電子書籍ではなかなか体験できないであろう。

だが確かに、本は持ち運びには不便であったり、出先で読みたいときに読めない。という問題も存在する。

そういうときに、授業で出てきた紙の本を買うと、電子書籍も無料で付いてくるサービスはとても便利だと思う。

本は手元に置いておきつつ、いつでも好きな本がスマホで読めるなんで素敵だ。

紙媒体と電子書籍との共存を促すサービスが多くあるというのは、本がそれだけ多くの人に愛されていることを裏付けていると思う。

 

 

第十二回に続く

情報リテラシー論10

第十回目の内容は「様々な動画とネット生配信」

 

動画を使ったサービスはここ数年でかなり増えたように思う。

主要なSNSは全て動画配信機能を揃えているのではないかというぐらいに、毎日動画を見る。

私が最近関心したのは、TwitterでもInstagramでもその動画をクリックせずともサムネイルの時点で動画が流れる。という点である。

これならTwitterInstagramに共通した、縦の動きを止めることなくスムーズに動画を流し見ることができる。

つまらなかったら流してしまえばストレスもないし、面倒くさがりな現代人にぴったりだ。

 

それ以外にも一般の人が動画配信というものに近くなったことに、ここ最近の動画ブームというものがあるのかもしれない。

 

以前までは動画での顔出し、というものについてのイメージは有名人に限られていたように思う。

だが、最近では普通の女子高生でも動画を上げることにより、ネット上での知名度が高くなって、まさにネット動画のカリスマ的存在になっている。

 

それを見て憧れを抱いた人たちが動画を上げることにより、ますますブームは加速していく。

 

私もよく見るが、そのチープさや新鮮さが癖になってしまう。

ネット動画の可能性はまだまだ無限大だな、と感じる。

 

第十一回に続く

 

情報リテラシー論9

第九回目の内容「テレビの衰弱と動画メディア」

 

 

最近めっきりテレビを見る時間が減ったと思う。

小学生ぐらいまでは毎日数時間見ていた記憶があるが今は1、2時間見れば良い方である。

 

なぜテレビを見なくなったかと言われたら、それはやはりスマホの登場が大きいと思う。

わざわざテレビで見なくても、スマホを開けばニュースはすぐ分かるし、自分で見たい動画を見たいときに見れる。

 

現にyoutubeなどの動画サイトが人気なのも、多くのジャンルから自分にあったもの、今見たいものを選べるからではないか。

 

今の時代はテレビの放送時間に合わせて見る。というより自分に合わせて動画を見る。という方がしっくりくるのだと思う。

 

 

第十回に続く

 

 

情報リテラシー論8

第八回目の内容は「位置情報で激変の生活習慣」

 

位置情報サービスはとても便利だ。私も目的地を探すときによくgoogleマップを利用する。

 

歩きながら利用できてその場所までの距離、方位、さらに自分のいる場所まで分かるので使わない手はないだろう。

 

だが、この便利な位置情報サイービスも、時にとても恐ろしいツールになることがある。

 

私が高校生のとき、電車通学をしていた。

そのとき不注意でスマホを電車の中に置き忘れてしまったことがある。そのとき、「スマートフォンを探す」というサービスを使い、駅に届けられているところを見つけて無事にスマホは手元に帰ってきた。

だが、本当に恐ろしいのはここからである。

その日を境に何日かに一回のペースで自分の位置を特定されていることを知らせる通知が携帯に来た。

当初は家族の誰かだろうと思っていたが、家族に確認してもみんな知らなかったのだ。

ある日いつもとは違う時間、違う路線の電車に乗ると、そこにはいつも同じ電車で見かける名前も知らないおじさんが・・・。

偶然だろうと思い携帯を見るとつい10分も前に私の位置情報が特定されたことを知らせる通知が来ていた。

 

怖くなりそれ以降しばらく位置情報をオフにしていたらそういうことはなくなったが、そのとき位置情報サービスの恐ろしさを身を以て知った。

 

SNSで位置情報がオンになった投稿を見るが特に女性は気をつけてほしいと思う。

 

第九回に続く